「verbose」は、言葉が多すぎる、冗長であることを指します。主に文章や話し方において、必要以上に言葉を使うことで、意味を伝えにくくしてしまう様子を表現しています。特に、簡潔に表現できる内容を、無駄に長く説明する場合に使われます。
「sesquipedalian」は、特に長い言葉や、長い文章を好むことを示しますが、ニュアンスとしては「難解さ」や「堅苦しさ」を含むことがあります。一方で「verbose」は、単に言葉が多すぎるという点に焦点を当てています。つまり、「sesquipedalian」は言葉の長さや難しさに重点を置くのに対し、「verbose」は冗長性に着目します。ネイティブスピーカーは、文脈に応じてこれらを使い分け、例えば「verbose」を使うことで、単に長い文を指摘したり、説明を簡潔にすることが求められる場面で使用されたりします。
The professor's lecture was very verbose, making it difficult for the students to stay focused.
その教授の講義は非常に冗長で、学生たちが集中するのが難しかった。
The professor's lecture was very sesquipedalian, making it difficult for the students to stay focused.
その教授の講義は非常に長ったらしいもので、学生たちが集中するのが難しかった。
この例文では、両方の単語が自然に置き換え可能です。ただし、「verbose」は一般的に冗長性を指し、後者の「sesquipedalian」は言葉の長さや難しさを強調するため、使い分けることで微妙なニュアンスの違いを表現しています。
「loquacious」は「おしゃべりな」「非常におしゃべりな」という意味を持つ形容詞です。この言葉は、特に人が長く話し続けることが多い様子を表現する際に使われます。loquaciousな人は、会話を楽しみ、他の人とのコミュニケーションを活発に行う傾向があります。
「sesquipedalian」は「長い言葉を好む」「言葉遣いが長ったらしい」という意味を持つ形容詞で、主に言語や表現に関して使われます。一方で、loquaciousは話し方そのものに焦点を当てており、会話の頻度や長さに関する表現です。つまり、loquaciousは「話すこと」に対する形容詞であり、sesquipedalianは「言葉の選び方」に対する形容詞と言えます。例えば、loquaciousな人は、会話が好きで多く話す一方で、sesquipedalianな人は、必要以上に難しい言葉や長い言い回しを使うことがあるかもしれません。
My friend is very loquacious; she can talk for hours without stopping.
私の友人はとてもおしゃべりなので、彼女は止まらずに何時間も話し続けることができます。
My friend has a sesquipedalian style; she often uses long and complicated words in her speech.
私の友人は長い言葉を好むスタイルで、彼女はスピーチでしばしば長くて複雑な言葉を使います。
この文脈では、loquaciousとsesquipedalianが異なる特性を表しています。loquaciousは話すことの多さを強調し、sesquipedalianは言葉の選び方に焦点を当てていますが、どちらもコミュニケーションスタイルの一部を示しています。
類語・関連語 3 : wordy
「wordy」は、文章や発言が冗長であること、つまり必要以上に言葉が多いという意味を持つ形容詞です。通常、簡潔に表現できる内容が、長くて複雑な言葉で表現される場合に使われます。特に、ビジネスや学術的な文脈で、要点がはっきりしていないときなどに批判的に使われることが多いです。
「sesquipedalian」は、一般的に使われる単語よりも長くて難解な言葉を指し、特に「言葉を多く使う」ことに関連しています。両者は似たような意味を持ちますが、ニュアンスには違いがあります。「wordy」は、主に内容が冗長であることを指摘する際に使われるのに対し、「sesquipedalian」は、長い言葉そのものやその使用を強調する際に使われます。例えば、文章が長すぎて理解しにくい場合には「wordy」という表現が適切ですが、意図的に難しい言葉を使った場合には「sesquipedalian」がふさわしいといえます。このように、ネイティブの感覚では、前者は内容の冗長さに対する批判的なニュアンスが強く、後者は単語の選び方や表現のスタイルについての評価に使われることが多いです。
His essay was too wordy, making it difficult to understand his main points.
彼のエッセイはあまりにも冗長で、主なポイントを理解するのが難しかった。
His essay was too sesquipedalian, making it difficult to understand his main points.
彼のエッセイはあまりにも難解な言葉を使っていて、主なポイントを理解するのが難しかった。
この文脈では、両方の単語が置換可能ですが、微妙なニュアンスの違いがあることに注意が必要です。「wordy」は冗長さに焦点を当てているのに対し、「sesquipedalian」は使用されている言葉の難しさに重点を置いています。
「grandiloquent」は、言葉や表現が大げさで、特に堅苦しい文体を使うことを指します。この単語は、しばしば特定の状況や聴衆に対して、過度に華やかで誇張された言語を使用することに関連しています。特に政治的な演説や文学的な作品で見られることが多いです。
「sesquipedalian」と「grandiloquent」の違いは、ニュアンスにあります。「sesquipedalian」は、言葉が長くて複雑であることを強調する一方、「grandiloquent」は、表現が大げさであることに焦点を当てています。たとえば、「sesquipedalian」を使った場合は、単に長い単語や複雑な表現を使うことを示しますが、「grandiloquent」を使うことで、聴衆に印象を与えようとする意図や、演説のスタイルを強調することができます。ネイティブスピーカーは、状況に応じてこれらの単語を使い分け、特に「grandiloquent」は感情や雰囲気を強調するためによく使われます。
The politician's grandiloquent speech failed to resonate with the common people.
その政治家の大げさな演説は、一般の人々には響かなかった。
The politician's sesquipedalian speech failed to resonate with the common people.
その政治家の長ったらしい演説は、一般の人々には響かなかった。
この場合、grandiloquentとsesquipedalianはどちらも適切であり、演説のスタイルを表現しています。ただし、grandiloquentはより感情的な響きを持ち、聴衆を引きつけようとする意図が強調されています。
The professor's grandiloquent lecture was filled with elaborate language that confused many students.
その教授の大げさな講義は、複雑な言葉で満たされており、多くの学生を混乱させた。
「prolix」は、冗長で長たらしい表現を指し、特に文章やスピーチが必要以上に長くて、要点が分かりにくい場合に使われます。この言葉は、時間を無駄にするような無駄に長い説明や話し方を示唆します。
「sesquipedalian」は、長い言葉を使うことや、言葉自体が非常に長いことを指しますが、特にそのような言葉を使うことが不必要である場合に使われることが多いです。ネイティブの感覚としては、「prolix」は話や文章のスタイルに焦点を当てるのに対し、「sesquipedalian」は特定の言葉の長さに注目するため、両者は似ているようで微妙に異なります。prolixは無駄に長い表現を批判的に捉えることが多く、sesquipedalianは単に長い言葉を使うこと自体を指摘することが多いです。
The author's prolix writing style made it difficult to understand the main argument of the paper.
著者の冗長な文体は、論文の主張を理解するのを難しくしました。
The author's sesquipedalian writing style made it difficult to understand the main argument of the paper.
著者の長ったらしい文体は、論文の主張を理解するのを難しくしました。
この文脈では、「prolix」と「sesquipedalian」は置換可能ですが、ニュアンスが異なります。前者は無駄に長いことに焦点を当て、後者は言葉の長さに注目しています。